神戸の東須磨小学校で起こった教員間のいじめ、というより傷害事件やハラスメントの件に関する記事で、「ゲミュートローゼ」という聞き慣れない言葉が出てきました。
というのも、とくに後輩教師に性行為を強要した男性教師といじめの主犯格である40代の女性教師は、「ゲミュートローゼ」である可能性が高いからだ。「ゲミュート」とは、思いやり、同情、良心などを意味するドイツ語である。このような高等感情を持たない人を、ドイツの精神科医、クルト・シュナイダーは「ゲミュートローゼ」と名づけたわけで、「情性欠如者」と訳される。
「情性欠如者」は冷淡かつ冷酷であり、他人に対して陰険で残忍なことを平気でする。しかも、罪悪感を覚えず、反省も後悔もしない。おまけに、「情性欠如者」の目立つ特徴として、教育によって改善することが不可能である点をシュナイダーは挙げている。
精神科医の片田珠美先生の文章ですね。精神医学用語で言えば何かを説明したことになるという訳ではないだろうに、とは思います。
また、診察や鑑定をした訳でもない加害者に、「可能性」と述べつつも、診断的な言及をすることの是非は議論が必要かと思われます。
もちろん、今回の件に関して、加害者の責任や教師としての(社会人としての)資質については厳しく問われるべきです。
しかし一方では、こうした度重なるハラスメントを生み出してしまう学校という環境や、教育委員会のあり方にも目を向けなくてはならないでしょう。
「ゲミュート」というドイツ語、最近、何かで読んだぞと思い出したのですが、
という本に登場していたのでした。
https://honsuki.jp/pickup/20315.html
という記事に、この本のことが紹介されています。
こうした社会的一体感を目指したからこそ、ナチスのイデオロギーにおいてはファシズムが重要だった。
このように、第三帝国では民族共同体へ身を捧げることが優先されたため、集団意識がナチス優生学において重要な要素となった。
その結果、迫害の条件に、人種、政治的傾向、宗教、性的傾向、犯罪性、生理に並び、社会性が加わることになった。
アスペルガーやその先輩医師たちはこの概念を表現するため、「ゲミュート(Gemüt)」(訳注:一般的には「心情」「情緒」を意味する)という単語を使った。
この単語は18世紀には「魂」を意味していたが、ナチスの児童精神医学に採用されると、社会的に結束するための形而上学的な能力を意味するようになり、個人が集団とかかわるうえで欠かせないもの、ファシズム的感情を生み出す重要な要素となった。
「ゲミュート」が足りない子どもとは、社会と結びつくことができず、集団優先主義者の期待に沿えない子どもを意味する。
ナチスの精神科医は、1944年にアスペルガーが自閉的精神病質の論文を発表するかなり前から、「ゲミュートに欠ける」などの表現を使い、自閉症らしき診断を数多く下していた。
アスペルガーも、自閉的精神病質を「ゲミュートの欠陥」と定義している。
アスペルガーの仕事を時代を追って見ていくと、第三帝国の診断体制の中で、新たな種類の欠陥が、それぞれの場合に応じて柔軟に定義されていたことがわかる。
「ゲミュートの欠陥(ゲミュートローゼ)」という概念も、こうした歴史的文脈で用いられた言葉だということは、知っておくべきでしょうね。
というか、集団いじめを先導するような人は、自閉的な傾向の反対の特質の持ち主であることが多いのではないか、その意味で、今回の一件でこの概念を使うのはちょっと違うんじゃないの、と思いますよ。
公認心理師試験には出ないんじゃないかと思いますが、覚書として書いておきます。