臨床心理学雑記

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中途障害者の障害受容

問21は、

中途障害者の障害受容について、正しいものをつ選べ。

という問題でした。

選択肢は次のようになっています。

① 他責を示すことはない。

② 一旦前進し始めると、後退することはない。

③ 他者や一般的な価値と比較して自分を評価することが必要である。

④ 障害によって自分の価値全体を劣等だと認知することが必要である。

⑤ ショック期の次の期では、障害を認めつつも、一方で回復を期待した

言動がしばしばみられる。

Google Scholarで「中途障害者の障害受容」を検索すると、

[PDF] 中途障害者の 障害受容」 をめぐる諸問題: 当事者の視点から

という論文が一番にヒットしました。

「障害受容」とは,後述のような一定のプロセスを経てそのような情動的混乱を脱した状態であり,障害を受容した患者は,自分自身のエネルギーを,以降の自分の人生をよりよいものにするための建設的な努力(リハビリテーションや,社会的アイデンティティの再構築など)にむけて注入することができるようになると,一般に考えられている。

「一般に考えられている」とあるように、この論文の趣旨は、「障害受容」という概念が医療や福祉の現場の中で、当事者を抑圧するような側面があるのではないかということです。

その点については後で触れることにして、まずは従来言われている障害受容のプロセスについて、この論文から引用してみることとします。

 Cohnは,障害を喪失と捉え,その後の反応を心理的な回復過程と位置づけた。Cohnは,第1に「これは私ではない」という衝撃を感じる「ショック(shock)」段階,第2に現実を否認し「自分は病気であり,すぐに直るのだ」と思いこもうとする「回復への期待(expectancyof recovery)」段階,第3に,「すべてが失われてしまった」と感じる「悲哀(mourning)」段階,第4に良い方向に向かえば「障害をものともせずにやっていこう」と感じることができるようになるが,そうでなければ障害の影響を否定するために防衛機制を多用するようになってしまう「防衛(defence)」段階,そして最後に,第5の「違っているだけで悪くはない」と感じることのできる「適応(adaptation)」段階に至るという(本田,1992)。

ショック期には、他責的な態度も見られることがありますので、①は不適切です。

また、障害受容のプロセスは、「段階」と言っても行きつ戻りつするのが普通だと思われますので、選択肢②も除外されるでしょう。

 

③および④に関連しては、

Wright(1960)によって展開された「価値転換論」では,「喪失の受容」を「何に〈価値〉をおくべきかという考え方に関する発想の転換」と捉える。例えば,「価値範囲の拡大(『歩く』という価値は失われても,歩くことにこだわらずに考えれば,『移動』は車椅子使用によって可能であり,価値の本質的な部分は失われていないことに気づく)」「身体的価値を人格的な価値に従属させること(外見や身体的能力よりも,内面の方が大切であると考えること)」「障害に起因する波及効果を抑制すること(ある分野で自分の能力が標準以下でも,その点のみが劣っていると捉え,その人の人格全体の貶価にはつながらない。同様に,障害も一つの個性と捉えて,その人の人格全体の貶価にはつながらないようにすること)」「外在的基準による比較から生じる価値(他者と比較して相対的に優れていると見なすことによって生じる価値)から,内在的価値を自分の価値と考えること」などが上げられている(本田,1992,1994)

といった説明がありました。「他者や一般的な価値と比較して自分を評価する」のではなく、「何に〈価値〉をおくべきかという考え方に関する発想の転換」や、「内在的価値を自分の価値と考えること」などが、障害受容につながるということです。したがって、選択肢③、④も不適切であると言えます。

 

上述のCohnの理論に関する説明で、ショック期の後に、「回復への期待」段階があると書かれていますので、選択肢⑤が正解となります。

 

ここまでは、従来の障害受容論の概説ですが、この論文の論点である「障害受容理論への批判」についても少し読んでみます。

 

まず第一に、

これらの理論を患者・障害者の多様な身体的・社会的状態に一律に当てはめようとすることに対する批判

が紹介されています。

また、「本人の自覚的で積極的なかたちの障害受容」というよりは、「むしろ周囲の暖かな人間関係のなかで傷がゆっくり癒えていくように障害に対するこだわりが消え,日常生活の中で自己自身を受容」していくといった方が適切な場合もあるとのことです。

 

さらに、

今まで患者・障害者に要求されていた「障害受容」の中に,本来患者・障害者が受け入れる必要のない,あるいは受け入れるべきでない苦しみ(例えば障害者に対する侮蔑的な視線から生じる苦しみのような)が存在するのではないか,そしてその苦しみを低減する責任を負っているのは障害者ではなく,社会の方ではないのかという問題提起

についても取り上げられていました。

 

つまり、これまでの障害受容論が、受容の過程を当事者の「心的プロセス内部」で完結するものと捉えがちなことに対して、当事者を取り巻く環境(家族や社会)との相互作用が大きな意味を持つということです。